織田信長の菩提寺:大徳寺の総見院は通常期間は拝観謝絶のお寺

戦国時代の英雄「織田信長」の墓所があるのは、京都の大寺として有名な「大徳寺」。その塔頭の一つとして総見院があります。ここが織田信長の菩提寺にして墓所。普段は、拝観できないお寺ですから、観たい方は下調べをしてから訪問すること。

ご存じの通り、信長は、本能寺で明智光秀の謀反で生涯を終えました。この時、本能寺には火が放たれたために、信長の遺体は見つからず。

大徳寺総見院で織田信長の葬儀を行う

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そして、織田家の後継者争いの中、京都を支配していた羽柴秀吉は、一周忌の時に葬儀を行い菩提寺として総見院を建立します。この後、信長のことを総見院様と呼んでいるような描写もありますね。

しかし、市と結婚できたからといって、勝家の不満が解消されるわけもありません。勝家と秀吉の対立は次第に深まっていきました。勝家は市を喪主に立て、京都の妙心寺で信長の100カ日法要を営みます。筆頭家老の立場を示そうとしたわけです。

これに対抗して秀吉は、同じ京都にある大徳寺で大規模な法要を執り行いました。日程は10月11日から17日までの7日間。このうち、15日には葬儀を行い、豪華な棺に信長そっくりの木像を収め、火葬にしたのです。NHK

この頃、秀吉の権力基盤は固まっておらず、筆頭家老の柴田勝家との勢力争いを繰り広げている最中。この大徳寺の葬儀は、イベント好きな秀吉の真骨頂。秀吉の力を世に示すものでした。

織田信長の墓所がある総見院

総見院とは

この総見院という名前は信長自身が定めたものと言われており、正式には「総見院泰巌安公」。すべてを見通すという意味で、天下布武のスローガンと共に天下統一寸前にまで覇道を成し遂げた人物らしい名前だと思います。

総見院には、秀吉の作った信長の木像・墓所・一族のお墓があります。織田信長の木像は運慶・快慶の系統である仏師【康清】の手によりもの。

見どころとしては、この木像の他にも名人久太郎と称された堀秀政寄進の鐘楼・加藤清正が持ち帰った朝鮮石を使った井戸・樹齢400年と言われる侘助椿(秀吉の愛した木との由来)。

さらに、信長の墓だけでなく、長男の信忠、次男の信雄、妻の濃姫、娘の徳姫と戦国時代をきらびやかに彩った織田一族の墓所がこの総見院に揃っています。

しかし、戦国時代や信長マニアには垂涎の地なのですが、普段は拝観謝絶で閲覧できません。一般公開される時期は秋や春が多い。

総見院は拝観謝絶の寺院

かつては、豪壮な塔頭だったと言われていますが、明治の廃仏毀釈により多くの史跡が失われました。織田家は信長で滅んだ訳ではなく江戸時代も続いていましたし、幕府からも丁重に扱われていましたしね。明治に失われたのが本当に残念。

加藤 廣さんの小説「信長の棺」では、信長の家臣だった太田牛一による信長暗殺の真相を探る旅が描かれています。阿弥陀寺の清玉上人とのやり取りが魅力的。

交通・アクセス

総見院は、大徳寺の塔頭ですから、訪問する時は大徳寺及び複数の塔頭と共に回るのが便利。気を付けたいのは、大徳寺は大きな寺かつ歴史的にも千利休木像磔事件などがある名所にも関わらず、常時公開していないこと。常時拝観している塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4つしかないため、どこを拝観したいかあらかじめ調べておかないと無駄足になります。

JR京都駅より京都市営バスで約30分、「大徳寺前」(101・205・206)を降りればすぐ。


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