大徳寺の高桐院:細川忠興はじめ一族の菩提寺
細川忠興由来の高桐院は大徳寺の塔頭の一つ。常時公開されていますので、気軽に訪れることができます。
ただし、寺宝の公開日は限定されていますので、高桐院の全てを知りたい方は公開日を確認して訪問してください。
細川忠興ゆかりの高桐院訪問記
戦国後期の名将にして茶人だった細川忠興が、父の細川藤孝のために1602年に建てたお寺。開山の玉甫紹琮は藤孝の弟であることから、細川一族の菩提寺として創建されたことがうかがえます。
細川忠興は父譲りの文人気質を持ち、利休の弟子として利休七哲の一人。その茶風は利休を忠実になぞったもので、自らこそが利休の一番弟子だと思っていただろう人物。
この高桐院は、小さな塔頭ながら、茶人として名を馳せただけに、侘びの美しさに溢れています。入ると両脇に竹林を従えた小道が凛とした佇まいを見せて、閲覧者を出迎えくれます。
細川忠興&ガラシャ夫妻は、たくさんのエピソードを残している人達。特に忠興のガラシャに対する嫉妬と歪んだ愛。それにうんざりするガラシャの図は、いつか大河ドラマの主役になってもいいのではと思う程。鬼の妻には蛇こそが似合いじゃ!と言い切るガラシャを見たいものです。
庭園は、楓の庭と呼ぶ良い雰囲気を持つ庭。苔むした庭地に楓の木が植えられている。中央にある石灯籠は鎌倉時代のもの。全体的に幽玄で静謐な趣を高桐院では味わうことが可能。大徳寺の特徴として名刹かつ有名な寺院ながら、金閣寺・清水寺等に比べて参拝者が少なく、落ち着いて回ることができます。
心を癒す・落ち着かせるにはもってこいの場所。
この時は、少し雪が降っており、庭にはらりと舞い降りる雪の風情がしんと底冷えする中で、乙なものでした。邸内の赤と庭に緑の取り合わせが絶妙でした。寒い日ながら、いつまでも庭を眺めていたい気分。
こちらは、千利休の邸宅を移築したと言われる意北軒(いほくけん)と呼ぶ書院。そして、茶室の松向軒は、細川忠興が1628年に建立。常に松声を聞きかつ趙州無舌の茶味を嗜むよって松向きと名付けたそう。
加藤清正由来のつくばい、細川忠興とガラシャ夫妻の春日灯籠なども見もの。
忠興が生前こよなく愛し,自ら墓標に指定したといわれる。この鎌倉期の石燈籠は利休愛蔵のものといい、秀吉に所望されたが蕨手に傷があることを理由に断ったものと伝える。後に忠興の所有となったが、忠興は「完璧すぎる」との理由からさらに笠の後ろ部分を大きく欠けとったという。数寄者(「お茶人」)のふるまいについての批判的な一例としてしばしば取り上げられる伝説である。高桐院
完璧すぎる美よりも足りないところに美しさを見出す茶人らしい話ですね。銘を無双または欠灯籠と言います。
高桐院には、歌舞伎の始祖として有名な出雲の阿国・戦国きってのイケメン名古屋山三郎のお墓もあります。伺った日は、そこまで見ることが出来ず残念。
- 絹本墨画山水図 2幅 附:絹本墨画楊柳観音像
- 絹本着色牡丹図 2幅
- 玉甫紹琮像
- 高士騎驢図屏風
高名な画家、長谷川等伯の作品も寺宝には含まれています。いつか折を見て拝見したいと思います。
高桐院は大徳寺の塔頭ですから、他の塔頭と一緒に回りましょう。